本当に人材が悪いのか?
使えないやつが多い、なんでこんな事ができないのか、有能なスタッフがいないから目標達成は無理だ。
もちろんそれもあるでしょう。その時はスパッと切り替えて抜本的に変化させる事が必要です。
けど今回の記事はそうではなくて
「本当に無理なのか?」それを熟考して「NO」であった場合はです。
「今あるカードで勝負すること」
「今考えている理想の組織が過去経験としてあったか?」
たぶん殆どの人が「NO」ではないでしょうか?
「良かった組織」や「目標となる組織」はあったと思いますが「全く問題がない組織」という訳でもないでしょう。理想は脳内でキレイに補正されてしまうものですから当然です。いわばフィクションです。
いずれにしても過去の良かった組織は「各々が仕事上の役割を果たすこと」により組織が成り立っていたのではないでしょうか?
もう少し言えば「各々が仕事上の役割を果たすことのみ集中していた組織」と言えます。
- AはできるけどBはできない
- BはできるけどCの方が得意
- AもBもCもイマイチだけどそれが得意な人に任せるのが得意
人は誰しも得手不得手がありますし見た目もみんな違うのですから、そもそも「違う」というのは前提です。
学校教育で「平均に寄せる」事をやらされているので生真面目すぎる人ほど理想が固くなりがちです。
球技が得意な人もいれば、長距離が得意な人もいます。
まずは人が「違う」という事を受け入れる事からスタートです。
「個を見る」
「強みを伸ばす」
ありきたりですが本当にそれが出来ているでしょうか?
「でたでた、お決まりの文句」と思った人ほど出来ていないでしょう。そもそも本気で向き合っていないからそう思うのです。もしくは自分以外の人に対し誠実さが欠けているからです。
「組織」である以上は「組織で結果を出せる様にする」事をやるのは当たり前です。
- 事務作業が得意な人がセールスを担当したり
- セールスが得意な人が総務に配置されたり
- 接客が得意な人が倉庫作業に入ったり
そんなチグハグな事で結果が出せるでしょうか?もはや嫌がらせに近いです(本当に嫌がらせで自主退職させるためという事もあるでしょうが)。
弱みは強みになりません。それは白が黒になる様なものです。
追記として「弱み」は置き場所や違う文脈に置いては「強み」や「魅力」に成り得ます。
嘆く前に「活かす方法」は探しませんか?
「成功事例共有よりも失敗事例共有に重きを置く」
成功事例は属人的で再現性低い。
失敗事例は再現性が高い。
「どうやったら良くなるの?」と人は【正解】を求めがちです。
しかしながら都合の悪い真実として「成功事例は再現性が低い」です。一方で「失敗事例は再現性が高い」です。
誰かが上手く行った方法で試してみても中々上手くいかない経験は無いでしょうか?それはその人だからこそ出来た事なので当然です。
つまり結局のところ「自分は自分でしかない」という事です。言わずもがな参考にしたりエッセンスを取り入れたりする事は超重要ですが「その人に成る」事は出来ません。
一方で「失敗事例」はパターン化されていないでしょうか?これは失敗がシステムに宿る事が多いからです。
ミスを誘発するオペレーションになっている、動線が悪く失注しやすい、チェック体制がなく不正が起きやすいetc…
これは一個人にも当てはまります。
私自身は「疲れているとき」「睡眠不足の時」「焦っている時」の失敗率が極めて高いです。そんなの誰でもそうだよ!と言われるかもしれませんがちょっと違います。私はそれに対する「自覚症状がない」という欠点があります。自分の限界に気が付かずにミスをします。
つい先日も大切に使っていたiPhoneをうっかり洗濯してしまい壊してしまいました。その日は丸一日食事をしておらず疲れていたのでしょう。しかしながらアドレナリンが出ていた為か疲労感は全くありませんでした。
組織自体もそうで自覚症状がない場合があります。気持ちだけで仕事を進めると必ずミスをします。システムの穴を放置しているからです。
冷徹に極めて冷静に物事を見る目、情熱的に心を燃やし推進する力、これはガソリンとエンジンです。両方揃って成立します。
人が悪いと思う前にどうでしょうか?システムや仕組みは機能していますか?機能していないのならどんなに有能な人がいたって同じことです。